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長田センターブログ - 最新エントリー

2014年4月9日(水)

石巻エマオも新たな専従者を迎えることが出来、4月を迎え新体制が始まりました。マスコミでは各地の桜の満開情報が伝えられています。石巻の蕾も膨らみ始めて、桜の開花を待ち望む頃となりました。まだまだ、吹く風の冷たさはいささか冬の名残を感じさせますが、それでも着実に春の近づきを感じるこの頃です。
 石巻ではこの時季、わかめ漁のワークを行っています。わかめ漁とは言っても、漁の現場に出るのではなく、わかめの生産者の加工作業のお手伝いです。つまりは塩蔵わかめの製品化のために行う、細かな手作業です。塩蔵加工したわかめの軸と葉とを切り分け、廃棄するものとせいひんとの分別作業を、カッターナイフを使って行う軽作業です。軽作業とはいっても製品加工ですから気を使うのですが、それでも容量をつかみ作業の行程を理解するにも時間と感が必用です。エマオがお手伝いする時は、複数人での作業となりますが、ワーカーを送れないときは四六時中、黙々と同じ作業を繰り返しされている様子がよくわかります。時季を遅らせると生産に関わることもあり時化で出られない日を除き、この季節は毎日毎日、朝から晩まで、同じ作業が繰り返されるそうです。その期間も今月末頃で、わかめの生育状況と海水温の影響を見計らいながら作業は続けられるようです。
 お訪ねしている十三浜をはじめ、石巻沿岸部では漁船を含めて漁具や加工場のすべてを流出してしまい、その後の操業再開においては、資材などの元手が比較的かからないわかめ漁に転じた方々があったようです。しかし、いざ収穫、生産してみるとわかめが生産過剰になり、浜値で値崩れを起こしたり、粗悪品も多く評判を落とすっことにもつながったようで、わかめ漁自体も厳しい状態にあるようです。
 私たちのエマオが行っているワークは、単なる漁業支援ではなく、被災者の個別状況に合わせて行う支援で、何とかこの場を離れないで生きることを願う方たちを側面から支える働きです。
2014年4月3日(木)

言い知れない、不安と緊張の時間を過ごすことになりました。石巻の須佐浜にいた時、携帯電話が鳴ってチリ地震の発生を知りました。11時半ごろでした。すぐに連絡を取りあい、また津波情報の収集に当たりました。その後、昼食に立ち寄った浜辺の食堂でも、来るお客さん毎に店員さんを交えて津波の話題が始まるなど、終始どこに行っても津波が押し寄せているかのような雰囲気に包まれていました。夕食後も津波情報を見るため、ワーカースタッフが集まってリビングのテレビに向かっていました。気象庁による会見が午後11時ごろで、ハワイへの津波到達情報を踏まえてとされていたので、テレビに見入っていたのでしたが、20センチから1メートの津波予測に留まっていました。ワーカーの少ない時でありましたが、場合によってはスタッフとワーカーの安全確保のため、エマオ石巻に全員宿泊し安全管理に努めることも検討していましたが、とりあえず一旦、散開することにしました。
北海道から千葉県までの太平洋沿岸と伊豆、小笠原諸島に津波注意報が出されたことを受けて、3日の午前3時に石巻市内に防災無線が鳴り響き、注意報とは言え大きな緊張に包まれたように感じ、寝付くことも難しい夜を過ごし朝を迎えました。津波到達予想時刻の午前6時頃を迎えても、津波の観測情報はありませんでしたが、津波は第1波が最大とは限らず、また海面変動が1日程度は続く可能性があることから、終始気がかりでした。
 結果、津波は3日午前7時前に東北沿岸に到達し、岩手県久慈市で午後0時20分過ぎに60センチを観測し、北海道えりも町や茨城県大洗町で30センチ、仙台市や福島県いわき市、八丈島などで20センチを記録したようでしたが、宮城県石巻では被害はありませんでした。しかし、小女子漁の漁師さんたちは出漁することも出来ず、船を避難港に移したりするなど、多少の損害があったようでした。
 3日午後6時にすべての津波注意報が解除されましたが、これまでの時間は気の休まらない時間でした。それでも、昨夏まで長田センター運営委員であった山本一さんからメールをいただき、カリフォルニアからの情報もいただきつながる思いに支えられていることに励まされ、大変うれしく感じました。ご心配くださった皆さん、ありがとうございました。無事にしております。


発生場所 チリ北部沿岸(南緯19.8度、西経70.8度)
発生日時 4月2日08時46分頃(日本時間) マグニチュード 8.2
2014年4月2日(水)

今週から、エマオ石巻専従者の異動に伴い、引き継ぎ役として石巻にやって来ています。石巻もようやく春の訪れが感じられるようになりました。山には梅の花が咲き、海ではカキ漁が終わり、小女子(コウナゴ:イカナゴに同じ)漁が始まりました。先日、長田センター運営委員会に出席するために、神戸に戻りましたが教区事務所の裏庭の桜が咲いていることにいささか驚きました。狭いとはいえ日本列島は大きく、その地にあって時間の流れや、季節の移ろい、時節の感じ方などには様々な違いがあり、それこそがその地に生きる人の暮らしを形作り、文化や風土、価値観といったものを築いてきたのだと、石巻に戻ってつくづく感じています。エマオ石巻の専従者であった飯野久美子さん、4カ月の間務めてくれた松原佑輔さんが3月末日をもってその任を解かれて、それぞれの場へと巣立っていかれることになりました。とはいえ、これまでの日常業務やワークに追われて、引っ越し作業やお別れ挨拶などには手が回っておらない様子で、自費でボランティア保険に加入してワーカーとしてワークに参加したりして、今週末までのしばらくの時間を名残惜しく過ごしています。
仮設住宅やこれまでにワーク依頼でつながった被災者宅への訪問活動に同行し、被災者の方との新たな出会いを経験させていただいています。寒さの時期、身を固く強張らせていたころから、春の陽射しの強さに身を柔らかくされだしたようで、戸外での立ち話にもゆっくりと足を止めてくださり、その穏やかな表情から春を感じられます。高台から港を望む仮設住宅では、小女子漁の船が着船していることを伺い、一緒に野鳥の鳴き声を聞いてしばらくの時間をすごすこともできました。
2014年3月27日(水)

 今朝は雨。天気予報では早朝に雨が上がるはずでしたが・・・。しかし、ワークが始まるころには雨は上がって、次第に晴れ間が広がってきました。
 今日はワークで、STさんの畑に行ってきました。STさんは七郷中央公園仮設出で暮らしていますが、「3.11」までは仙台の深沼海岸から200mのところに自宅がありました。しかし、家屋もろとも、すべてのものを津波で失いました。ただ、連れ合いさんと一緒ん足を運んでいた畑が残されていて、「春になったら、畑に出たい」と2012年の2月ごろに話されたのをきっかけにして、以来一緒に畑へ行くことになりました。当初、畑の土地はあっても畑と呼べるような土でなく、様々な瓦礫などがいっぱいに埋まっていた畑を、毎日足を運んでい瓦礫や石を取り除く作業をしました。当時、機械を入れようにも機械はなく、鋤や鎌の一本もない状態で、エマオのワーカーの人力によって、畑づくりのお手伝いをさせていただきました。凍てついた冬の土は、次第に緑に姿を変えて、夏にはナスやキュウリ、トマトなどが実るほどになりました。そのような出会いときっかけで、STさんは今、春になったらまた元気に畑に出て、土をさわって、亡き連れ合いをしのびつつ、生活再建の日々を着実に歩んでいきたいと念願しておられます。
 今日は冬の畑の大根を収穫・除去のワークをして、春植えの準備をしました。収穫した大根は土嚢袋に8袋ほどにもなり、漬物にするための下処理などの作業を仮設住宅に持ち帰って一緒に行いました。この漬物を食べに、ラジオ体操とそのあとのお茶っこにいらしてください。そして、時間を超えて手にした味を存分に味わいたいと願っています。そんな一人一人の生きる力に寄り添うワークを続けていきたいとスタッフ一同願っています。
2014年3月25日(火)

 卒業式のころを迎え、被災地の学校でも卒業式があり、毎日のワーク先である笹屋敷石場や七郷中央公園仮設のばっちゃんたちの出身校である市立荒浜小学校の卒業式が22日に行われました。とは言え、災害危険地域に建つ荒浜小学校は、隣接区の東宮城野小学校で授業を続けていて、卒業式にも地域の方たちや同窓生の出席もなく、「3.11」以前に比べ、寂しい卒業式であっただろと想像します。おそらくこれまでの卒業生の保護者はもちろん、祖父母や親戚の方たちなどが大勢駆けつけてお祝いされていただろうと思います。
 春休みを迎えた笹屋敷の子どもたちに向けて、毎月定例のものとは別にスペシャルロングバージョンの「ささっこくらぶ」を今日から4日間実施しています。仮設や見做し仮設で暮らしている子どもたちは、同じ学校に通いながらもげ放課後や下校後に友だちと遊ぶことが出来ないで、子どもなりに寂しさや孤立感、遊べないストレスを抱えていると考えられます。そんな子供たちが、笹屋敷に集まっていつもとは違う大勢の学齢の違う友だちと遊ぶ機会を提供することは、地域コミュニティーの再生のためにも大切な機会だと位置付けて、力を入れて取り組んでいます。もとより、子どもが少なくなった被災地の大人たちや、送り出してくださっている保護者の方から寄せられている期待も大きく、特に保護者の方とのコミュニケーションを大切にしていくことを確認し合っています。
今回もこの企画に協力するために集まってくれたワーカーを中心に活動が始められ、初日は11名の子どもたちが集まり、勉強したり、遊んだりとちょっといい時間を過ごしました。
 子どもが元気よく走り回る姿や街に響く歓声は、被災地に暮らす人々に未来を感じさせる何かがあるように思います。
2014年3月24日(月)

 三月も終盤、春休みも短くなって来ましたが、東北教区被災者支援センター・エマオには、高校生の姿が数多く見られるようになりました。関東方面からキリスト教主義学校の生徒たちが学校単位の団体でやって来てくれます。昨年以降、この傾向が顕著にみられるようになり、発災直後の泥カキや瓦礫撤去などの危険を伴う作業が少なくなり、ワークも地域コミュニティー再生の一助としての農業支援や漁業支援、仮設住宅支援に変わってきていることから、生徒、学生を引率しての被災地訪問と支援活動のプログラムが増えてきています。多くの中高生ははじめて訪ねる被災地ですが、ぜひ来てみたかったと3年の時を経てようやくその念願を今叶えることとなりました。3年たっても堤防や土地のかさ上げ、堤防道路や避難路とった工事もまた緒に就いたばかりの被災地の現状に触れ、長期にわたる支援の必要を強く感じるとともに、被災地・被災者への関心をつないでいくためにはより若年の方たちが被災地へと出向き、被災者に出会うことが長期支援にとっては必要であると感じています。瓦礫が撤去された被災地でも未だ残る被災の痕跡に大きなショックを受ける方もあり、丁寧なフォローが求められることもあります。おそらくはそのような現状についても想像していなかったことと思います。
 毎朝の七郷中央公園仮設のラジオ体操んやって来るばっちゃんたちも、ワーク先の笹屋敷の方たちも毎日、日めくりカレンダーのように代わる代わる現れるわーかーたちにも慣れて、受け入れてくださっていることに感謝しています。エマオにとって全国のみならず、時折海外からもやって来るワーカーを通じて、「忘れていません」、「覚えています」とのメッセージを届けることが出来ることは大きな支援であり、被災者との出会いを提供するという大切な働きだと思います。
 今週から、横須賀学院中学・高等学校、新島学園高校、共愛学園高校の方たちが来られます。
2014年3月21日(金)

 東北教区被災者支援センター・エマオは、休日はカレンダー通りにお休みをいただいてますが、今日は春休み期間ということもあり、ワーカーさんが多く参加くださり、いつもの通りにワークに出掛けました。しかし、ワーク先の笹屋敷では、やはりというべきか「お彼岸」ということで、墓参りや法事、接客などに忙しいご家庭が多く、結局のところワークの依頼件数は少なかったのです。ですが、こんな日にもワークを必要としてる仕事があり、またこの数日来の天候不順により作業計画が押していることで、ワーク人数を多く割り振って、作業にあたることが出来、春を待つ農地はおおいににぎわいました。

 「3.11」を経て間もないということもあってか、ワーク先に訪ねると被災当時のお話が多く話され、特に初めて当時の状況を聞くワーカーにとっては心に重い話であったとも思われます。もちろん、普段でも折に触れ当時のことを伺うことはありますが、より鮮明となった記憶を語ってくださいます。というのも、ここに3年という時間の流れを感じます。おそらく去年の「3.11」までは、言葉にすることに大きな抵抗もあり、心馴染まなかったんだと思いますが、この一年でわたしたちエマオ、ワーカーとの関係が深められ、以前に比べていささか落ち着きを感じられる日々を営まれていることをその穏やかな語り口から感じました。
 しかし、まだ3年。まだまだ、語るに尽くせない思いを抱き続ける被災者もおられます。そんな思いが言葉にされるまで、ゆっくりと付き合っていくそんなスローワークをエマオは続けていきたいと願っています。
 今日、墓地には人影も多く、春まだ遠い被災地に鮮やかな花が揺れています。
2014年3月20日(木)

 今日は、今週2回目のお弁当プロジェクトとして、荒井号公園仮設住宅に向かいました。いつも近隣教会の方たちが仮設住宅の方たちとの交流を楽しみに、食事の調理を担ってくれていますが、今日は春休みということで、米沢女子短期大学健康栄養学科の学生5名も加わってくださいました。その労力を期待しつつ、今日のメニューは山菜の天ぷらと若竹煮、そしてメインは牡丹餅といった春爛漫の食卓となりました。特に、牡丹餅作りは人手と時間がかかるので、学生の方たちに助けていただくことで実現できました。以前は、お彼岸ともなると親族縁者が多く集まり、その席では必ず牡丹餅が食卓に備えられたようです。しかし今日、「3.11」以降は特にそろって集まることが出来にくくなって、それゆえに牡丹餅を作ることも食すことも出来なくなっているようで、大変好評をいただきました。
 山形からの来られた学生の方たちと、郷土食についての話で盛り上がり、芋煮の話になりました。東北地方の各所で芋煮は秋の風物でありますが、微妙に異なっているようで、豚肉・牛肉、みそ味・醤油味、具材などにこだわりが感じられます。
 健康栄養学科の学生を交えて、健康と食についての話にもなりました。いつもは、「…だろう」、「…らしい」の話で終始するのですが、食事のとり方や食生活についても簡単なアドヴァイスを受けて、いつもは面倒くさい話を嫌う方たちも興味深く聴きあっていました。
 お弁当プロジェクトを終えて、急ぎで被災地の深沼地区荒浜を案内し、仙台に戻りましたが、急に雪が大降りとなって来て、米沢までの帰路を案じることとなりました。そして、明朝の雪かきや明日のワークの段取りについてスタッフで話し合い、天候に左右されながらも求められる働きに必要な備えをはかることとなりました。
三寒四温、で春が近づく東北です。明日、天気になあれ。
2014年3月18日(火)

今日は9回目となる七郷中央公園仮設住宅での昼食会でした。毎月定期的に行っている昼食会には、毎朝のラジオ体操には参加されない仮設の方たちも参加され、毎回大好評をいただいています。今回は質量ともに大いに盛り上がりました。というのも、今回は「に」をいただきました。「に」は、深沼地区荒浜の方々が発音すると、ngiとなります。おそらく字で書くと「煮」で、煮物です。しかし、その具材は決まっていて、油揚げのみ。この油揚げを干し椎茸のだし汁で甘辛くふっくら炊き上げて、おろし生姜とセリを天盛りにする椀物です。荒浜では法事の席で必ず振舞われた食べ物なのだそうです。しかし、仙台市民もこの「に」については誰に聞いても知る人もなく、深沼独特の食文化のようです。この食文化を支えた油揚げの製造元であった豆腐屋さんも津波に吞まれて以降、営業を再開することを断念されました。その後、復活の願いの声に押されて、油揚げの製法だけを他店に伝授されて油揚げは復活されたのですが、深沼の方たちにとってそれは似て非なるものでしかなく、「たまげたっちゃー」と、落胆の色をにじませていました。ですから「もっとおいしいっちゃー」とおっしゃいますが、それでも「に」は大変おいしかったです。久しぶりに口にした深沼の方も、初めて食べた方もそのおいしさに口鼓を打っていました。
また、先週の15日にスタッフを辞したKTさんと一緒に仮設住宅のTさんのミニライブが行われした。今日の日まで一か月以上、二人は何度もギターの練習を重ねてきました。ちょうど前回の昼食会の時に、ギターの話しで盛り上がって、セッションしようということになり、練習が始まったようです。その成果を今日の昼食会で披露くださいました。その出来栄えの如何はともかく、KTさんとの時間を楽しんだTさんは大変幸せそうで、KTさんの送りだす思いはスーツに身を固めた姿からもその熱い思いはけなげなほどに伝わってきました。懐かしいベンチャーズやブルコメの曲にみんな手拍子で盛り上がり、喜んでいました。この日は15日にスタッフを辞したOTさんも友達として参加して、最後にはKTさんとそろって「お別れ」の挨拶をさせていただき、盛大にお見送りするステージとなりました。様々に別れの季節を迎えますが、しかし貴重な出会いを経験したからこそまた新たな道に踏み出す契機を得たことも掛け替えのない事実です。
いつもはお茶らけキャラでいじられ役のTさんですが、この日はネクタイ・スーツの姿です。そのことからも、今日という日に込めた思いが伝わってきます。短かったとはいえKTさんとのギターの練習の時間は、いかに楽しくうれしい時間であり、その時間の共有が二人の関係を強く深くさせたかを垣間見ることが出来ます。被災者と支援者という立場で出会うこととなった二人ですが、今日の姿は友人同士にほかなりません。
短いミニライブでしたが、選曲はともかく、その思いのこもった演奏と和やかな雰囲気に包まれて、ばっちゃんたちを始め、食事ボランティアや仮設支援担当職員の方たちみんなにとって忘れられない時間となったことと思います。
Tさん、そしてKTさん、本当にありがとうございました。
22014年3月16日(日)

 昨日は支援センターエマオをいつもより早く出発し、ラジオ体操に出かけました。そして、自宅を改修し笹屋敷に戻られたHMさん宅にお迎えに行きました。HSさんが通う福祉作業所がお休みということで、出来るだけ土曜日はラジオ体操にお誘いするように声掛けをしています。そして、母、兄弟の家族3人と一緒に七郷中央公園仮設に向かいました。
 久々ぶりにHSさんが参加したということで、ワーカーもばっちゃんたちも大きな笑顔で、掛け声をかけてラジオ体操を元気よくおこないました。さらに、仮設支援担当職員だったSIさんもお茶っこの時間にひょっこりと顔を出してくれて、懐かしさを感じる集会所の光景でした。仮設住宅という場ではありますが、この場での日常を生きている被災者にとっては、仮設住宅での暮らしがしっかりと地に足がついて落ち着きのあるものでなければ、仮設を出ることにも不安が付きまとうことになります。そんな日常の重荷を振り払うために、毎朝元気いっぱいにラジオ体操をやっています。そうやって、ちょっとずつ前に進んでいくお手伝いをしたいと願っています。
 
 15日を最後に、スタッフ3名がエマオを巣立っていきました。この3名は、3年前の立ち上げ当初から、ワーカーとしてそれぞれの関わり方でエマオを支えてくれました。そして、スタッフとしてもそれぞれの関わり方で粘り強く活動し、被災者からも大きな信頼を得、ワーカーにもそれぞれの形で情熱をもって接してくれました。それぞれは、スタッフの資質を十分に備えた人間としてエマオにいて、その役割を担っていたのではありませんでした。それとは逆に、熱い思いをうまく表現したり、上手にコミュニケーションをとったり、協調性にあふれたリーダーとしての素養に決して恵まれていたとはいえず、むしろ苦手であった存在でした。そんな青年らが、自分の苦手な思いをはるかに超える思いで、エマオにこだわり続けることが出来たのは、被災者のひとり一人であったと思います。そこには、「3.11」以前の姿は問題ではなく、今日という震災の只中を、ただ必死に生きようとする被災者、そのいのちの凄まじい力に出会い、共感したからに他ならないでしょう。また、多くのワーカーとの出会いが大きな刺激であっとことも間違いありません。

 思い返せば、多くのスタッフがこれまでもエマオを巣立っていきました。しかし、今のエマオを支えているのは、巣立っていったスタッフやワーカーの熱情であると思います。いのちのバトンはエマオでしっかりと受け継がれ、その掛け替えのない歩みが、一日一日のエマオを、明日のワークを切り開いてきたのだと思います。そうして明日からも、新たな体制のもとでのエマオの活動が被災地で、被災者と一緒に展開されていきます。
 
 新たな歩みに、新たなステージに立とうとするスタッフ。これからもずっとエマオの仲間です。またささへあう日まで・・・。本当にほんとうに、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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被災者生活支援長田センター